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yuichi0613's diary

yuichi0613の雑記、写真、日々の記録。

『医療崩壊−私たちの命は大丈夫か』(保阪正康)読んだよ

図書館で医療についての本を検索してみたら、この本があった。

医療崩壊―私たちの命は大丈夫か

医療崩壊―私たちの命は大丈夫か

アマゾンの出版者/著者評では以下となっている。

30兆円を超す国民医療費、暗雲立ちこめる介護保険。
待ち受ける悲惨な医療状況を突破する道はあるのか?
あるべき21世紀医療を問う。

国民の側も医療エゴイズムを排し、医学・医療を見つめる目に広がりを持つべきではないかと思うのだ。
本書はそのような視点で、現代の医学・医療のなかから9つの断面をテーマに選び、その現在を問うた内容である。医学・医療を真のヒューマニズムに戻すには、まず現在の状況をありのままに見つめることこそが重要だ。――「まえがき」より

・医療事故の真因は、病院・医師側の密室性にある
・医師の保身、病院の面子が、医療事故を隠蔽している
・病院3つの壁、医療被害者5つの壁をどう乗り越えるか
・医師自らが死生観も人生観もなしに最先端医療に向かう不安
・IT医療時代の賢い患者は、自らの医療観を持つべきである
・病院経営は、二極化現象で生き残りをかけて戦う時代へ
・次代の老人を待ち受ける悲惨な医療状況を回避できるか
・21世紀の医療の変化7つの方向とは?

この本の出版年は2001年12月。
当時の小泉首相のもとで医療改革が進行中のときだ。

老人医療に限定して言及すると、なぜ老人医療は無料であったのかという疑問が私には頭に浮かぶ。
医療のサービスである以上、供給の裏には必ずその財政的な裏づけがないといけない。
昔はいまと違って、経済の成長がとどまることを知らないころだったし、人口構成も若者が老人をまだ余裕をもって背負えていた。
現在はすでに社会保障費の膨張により国の財政が圧迫され、「国を殺す」とも言えるような状況だが、その理由として、1960〜70年代に当時の厚生省の要職にあった官僚たちの述懐が興味深い。
そのうちの一人いわく、

「われわれは、1960年代後半には日本の将来はスウェーデンをモデルにした福祉国家をつくりたいと熱望していた。(中略)
(そのころ)自治体の革新首長が、老人医療の無料化を訴えて当選してくるようになった。
それですべての青写真がつぶされることになってしまった。」

この官僚の言葉をそのまま聞くと、選んだのは国民だということだろう。
無料の医療という状況を選んだのは国民。そして、いまの危機を遠まわしに招いたのも国民。
これは一理あるように思える。
もちろん、だから医療費をいますぐ減らせというのは拙速だろうが。
医療のように、増えれば増えるほど(ミクロでは)国民の益になり、減れば減るほど損になる領域のものは、そう簡単に変わるものではない。
だからこそ、小泉の時代にいまではわからないほどひっそりと後期高齢者医療制度などが整備されたのであろう。
だって、そうじゃなきゃこんなに話題にならないのおかしくないでしょうか。(調べてないので、そんなことないならすみません)

また、引用部でいうスウェーデン・モデルというのはつまり「高サービス・高負担」であり、現状の日本は「中サービス・低負担」ということだろう。
年金の財源議論の際にも、財務省関係者にこういう話聞いたことがある。

老人医療の無料化は一度すればそこから抜け出すことは容易ではない。
「当たり前」のサービスだという前提、そして負担を負わせることができずに医療が荒廃。そののちに有料化が実施され、老人医療に制限ができ、ほかの保険からの拠出が出され、入院から在宅医療への転換、介護サービスへと変遷していくというのがこの本の内容だった。
このあと、著者はいまの状況を言い当てるように、「私たちの現在の無関心」が老人医療の悲劇を呼ぶとしている。

医療費膨張の裏には、歯止めの利かない医療費の特質がある。
医療費の抑制という、高瀬淳一のいう「不利益分配の時代」、どうしたら医療の問題にメスを入れられるのか。
国民の批判が出ないように合意形成をはかっていくのか、批判を織り込み済みで制度整備を進めてゆくほうがマシか。

マスメディアからは財政の問題、マクロ的な視野に立った報道を私の知る限りでは見ていない。
あるならば、もしよろしければご教授いただけると幸いである。