yuichi0613's diary

yuichi0613の雑記、写真、日々の記録。

『バルタザアル』

美しい短編だと思う。
キリスト教への素地がない私でも、このような短編であったら読みやすいし、理解もスムーズだ。なぜ芥川氏がこの短編を翻訳しようと思ったのかが、興味ある。

これは『芥川龍之介全集 1巻』(岩波書店)の最初の作品。この全集は時系列に作品を掲載しており、芥川氏の文筆家としてのスタートはこのアナトール・フランスの短編の翻訳に求められる。(なお、正確にはMrs.John Laneの英訳を訳したとのこと)。

本編『バルタザアル』は本書の20ページほどの短編。エチオピア王のバルタザアルはシバの女王バルキスに恋をするが、冷たくあしらわれてしまう。その恋を忘れるがために学問、ことに星占術に没頭し、星の声を聞くようになる。やがて、バルキスがバルタザアルへ会いに来る。懊悩を隠せないバルタザアルだが、星の声を信じ女王を振り切って、没薬をもって神の幼子のもと向かう。
途中、黄金をもつガスパアと乳香をもつメルキオルと合流する。三賢人はマリアと幼子の待つ場所まで、星に導かれていく。

なお、サルヴァスタイル美術館「東方三博士の礼拝」(参照)によると。

イエスへ捧げられた黄金は未来の王への敬意と服従を、乳香は神への絶対性を象徴し、当時、死体の保存に使われていた没薬はイエスの死の予兆であると解釈されている。

とのこと。

なお、『「バルタザアル」の序』には、このときの芥川氏の態度がなんとなく読み取れる言葉がある。

時代は遠慮なく推移するものである。だから恐らくは自分の小説ごときも、活字にさえもならない時が遅かれ早かれ来るに相違ない。が、自分はその時もやはり現在のように苦笑を洩らして、一切を雲煙のごとく見ようと思う。そのほかに自分は時代に対する礼儀を心得ていないからである。

「苦笑を洩らし」て、時代を生きる。なんとも斜に構えたひとだろう。そんな彼が、神の幼子に没薬を調えたバルタザアルを選んだのにはなにか訳があるのだろうか。前出の「序」にも、そういった話はない。

雑誌『新思潮』に表題「バルタサアル(アナトオル・フランス)」、「柳川隆之介」の署名で掲載されたのが大正3年(1914年)。彼が自殺をする13年前である。


参考
サルヴァスタイル美術館「東方三博士の礼拝」
http://www.salvastyle.com/menu_mannierism/correggio_magi.html

wikipedia「没薬」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A1%E8%96%AC

wikipedia芥川龍之介
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B