yuichi0613's diary

yuichi0613の雑記、写真、日々の記録。

毎日新聞が共同通信に加盟するかもということについてちょっと雑感

J-castニュースにこういう記事が出た。
2009/11/20 19:07”毎日新聞「共同通信加盟」に動く これでリストラ進むのか”
http://www.j-cast.com/2009/11/20054461.html?ly=cm&p=1

経営不振がささやかれる毎日新聞が、共同通信社から国内ニュースの配信を受ける方針を固めた様子だ。「発表もの」は共同記事を使い、自社の記者を独自取材に振り向けられるという利点が期待できる一方、リストラ策の一環だとの見方もある。だが、「配信を受けたところでリストラは進まない」との指摘も出ている。

 毎日新聞が、共同通信に加盟し、国内ニュースの配信を受ける方針なのだという。11月下旬にも、役員会で決定されるとの情報もある。

メリット、デメリットについてはだいたい記事の通りだと思う。
ポイントを適当に列挙すると。

  • 共同電を使うのは、経費縮減のため
  • 発表ものでない独自で取材した記事が増える
  • 地方の「駐在」や「通信部」が大量に廃止や、記者総数の削減につながるのでは=地方記事が弱くなる?

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※以下、雑文。あまり考えがまとまってないかも。

まず共同になぜ加盟してなかったかという話なんだが、これは1952年に、大手3紙(朝日、毎日、読売)が同時に共同通信からの脱退したという事件がある。
そのへんは以下のサイトに詳しい。

電網木村書店 Web無料公開『読売新聞・日本テレビ グループ研究』”第二章「背景」―国会を愚弄するテレビ電波私的独占化競争の正体―(204)務台“専売”将軍、大阪秋の陣”
http://www.jca.apc.org/~altmedka/group-204.html

その間の事情の一端を、元共同通信記者の新井直之は、こう要約している。
 「一九五二年九月、朝日、毎日、読売三社は、突然、共同通信から脱退した。『今やそれぞれ独自の通信網によって内外信を十分にまかない得る時期に達し』た三社に反して、地方紙および中小紙各社は共同通信からの配信なくしては紙面をつくりえない。
しかも共同はその経費を加盟社から発行部数に応じて分担する方式をとってきたので、大手三社の脱退が共同の経営基盤に大打撃を与えることは明らかであった。
つまり、三社の脱退は、共同を弱体化することによって、間接的に地方紙・中小紙の報道能力を弱めることをねらいとしたものであり、大手紙の地方紙・中小紙に対する挑戦を告げるものであった。
このときから、戦後の新聞界の販売競争=独占化過程がはじまる。三社脱退による共同の収入減は、純社費で三一パーセント、その他を合計した総経費でみても二五パーセントに達し、共同は存立の危機に立たされた」(『ジャーナリズム』一五三頁)

だいたいこういう事情。
地方紙などの主なニュース配信元である共同通信に対して、大手3紙が脱退をつきつけて経営に打撃を与えることで、遠まわしに地方紙にも打撃を与え(小野秀雄[1961]『新聞の歴史』:「共同は理事会を開いてその減収を残余の加盟社に負担させた」)、その時期に大変激しかった各社の販売競争(地方紙を食ってシェア拡大をするのが主なもの)を有利にしようという経営上の判断思惑である。
地方紙へ大攻勢をかけるためにそうした策に出た。
その実際例としては、「大阪読売新聞」(のちに「読売新聞」に改題)が顕著なもの。共同脱退のあと、関西方面への取材網を拡大するため1954年に「大阪読売新聞」を発足。発行以来、強引な販売拡張もあり、「1960年には100万部に接近し」、「大阪ならびに近畿地方の在来紙の中にはそのため読者を失うものが生じた」。(前掲書より)


…この事件の結果、大手紙では共同通信などの他社記事に頼ることをせずに自前の記者で新聞を埋めていくということが始まった。
もともと日本の全国紙(朝日、読売、毎日、日経、産経)というのは、外信以外のほぼすべての記事を自社所属の記者が書いているという特徴がある。(ちなみに他国には「全国紙」という例はあまりない。新聞は基本的には「地方のもの」だから。)
これはどう考えても高コストである。
この当時から10年前くらいまでの新聞社経営の良さならこうした状態は許容されてきたのであろう。
しかし、今回の毎日のように、経営が厳しくなってくると、記者の数を減らすことで経費の削減をしようとする。それならば、共同電を使用したほうが、さまざまな経費を差し引いても安上がりではないか。そういうことになるわけだ。

共同はあまり地方には強くない、顧客が中央や海外のニュースを欲しがるからだ(顧客は地方の新聞社やテレビ局などなので、その地方のニュースは基本的には自前で取材をする)。
なので、地方のニュースの質を維持しようとすると、文頭記事の河内さんのように「地方の取材網については維持を迫られる」となる。

しかしここで、「全国紙」というものの特異性に目が行く。
購読者はそれぞれの地域で、それぞれの興味を持って新聞を買う。ではなぜ、新聞社側は「全国を網羅した情報を集めなければならないのだろう?」

こうした全国紙のあり方が問われているのかもしれない。
全国紙の看板を棄てる?
だったら、前掲の河内さんが主張するような、yahoo!などを対象に記事を販売する「ネット通信社」化とか、同じように経営が厳しい産経新聞なら、もともと事業発祥の地でいまだシェアが高い大阪に戻り、「ブロック紙」になる、とかそういう手も可能性としては考えられる。

まだそういう段階ではないかもしれないけど。

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用事があるので、思考中断。

戦前から続く1県1紙制の影響だとか、販売競争の苛烈化による3社寡占体制が私たちの地方の新聞へどう影響したかとか、新規参入の困難さ、それによる情報提供主体の多様性・多元性のなさ、地方紙の非競争市場下における記事の質、発表記事、取材体制、記者クラブ、他社の記事引用の禁忌化(Attributionの問題)などなど、ちょっと考えてみたい問題がたくさんある(どれも証明が困難そうだけど)。

いや。
その前に先行研究をさがさな。