yuichi0613's diary

yuichi0613の雑記、写真、日々の記録。

『ゴッド・ファーザー』という流民ゆえの家族の絆の物語

ふと名作シリーズを見てみたくなって、借りてきたのはフランシス・フォード・コッポラ監督の傑作『ゴッド・ファーザー』の3部作。
それぞれpart1は1972年、2は1974年、そして3は1990年に公開されている。

wikipediaのリンクは以下に。

『ゴッド・ファーザー』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC
『ゴッド・ファーザー』映画
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC_%28%E6%98%A0%E7%94%BB%29
『ゴッド・ファーザー』part2
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BCPARTII
『ゴッド・ファーザー』part3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BCPARTIII


様々な意味で、社会に影響を及ぼした作品だといえる。コッポラ監督の名声、ドン・ヴィト・コルレオーネ役のマーロン・ブランド、そしてマイケル・“マイク”・コルレオーネ役のアル・パチーノその他俳優陣の好演、アカデミー賞作品賞・主演男優賞・脚色賞を受賞、「マフィア」という言葉を社会に広め、室内のヴィトに真上から光源を当てるという撮影時の映像手法に新しい道を開く、などなど。
見ていて思ったのは、映像の素晴らしさがピカイチだということ。これはpart2、3ともに思った。カメラワークは抑制気味だと思ったら、引き気味の撮影をしていた印象。落ち着いたシーンが多かった。一方で、その他の敵対組織を一斉に粛清したシーンは一気加勢というシーンのつなぎであった。この抑揚の利きが、マフィアという裏世界の住人へのステレロタイプという印象形成にエッジの利いた味付けを加えている。とかく、厳しくも辛くそしてどこまでも明るい社会である。
ストーリーについて自身に対して驚いたのは、私はあまり物語に没頭するタイプではない(なのであまり物語の受け手として合ってない)と自覚しているのだが、しかしpart?の”マイク”が敵対組織のソロッツォとマクラスキー警部を殺害する場面では、その心情に強く惹かれ、没入し、見事に銃を使い切ったときには心地よいカタルシスを得た。

ゴッドファーザー」という言葉のイメージは、「闇社会の帝王」と考えていた。無論、そういうステレオタイプが組織外への威圧になるだろうし、一つの正解とも言えるだろう。しかし、ひとたび組織内の論理からこの「ゴッドファーザー」を見ると、「社会の絆の象徴」。それはまさにキリスト教における「代父母」の役割。裏社会という教義との、契約の証人。その人間の「名付け」親という、いわばその人間を規定する親としての存在。

この3部作は、ヴィトとマイクのゴッドファーザーとしての生き方を重ね合わせているが、このマフィアという「ファミリー(家族組織)」を作り上げて一代帝国を築き上げたヴィトと、その後を受けて組織の維持に没頭するあまりに「家族」を失うマイクの対照がなされている。

3作を連続して見たが、この作品が「名作」として多くの映画関係者に認められていることに異議など挟む余地はない。

血なまぐさい社会に生きてても、人。
人は絆に絆されて生きていく。