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yuichi0613's diary

yuichi0613の雑記、写真、日々の記録。

トンボの悲しいサガとか生きる意味と生きている意味とか

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どうして生きてるのか

写真は吉祥寺でパンケーキ。
飲みの後にこんなん食ってるから太る。


しかし、
おいしそうとか、おいしいかもしれないという喜びは、生の喜びに直結しているので強烈でわかりやすい。
生きる理由は、ざっくりいって仕事か家族か自分事の3つに分けられる。


とか考えてるうちに、
下のニュースを見た。

コンクリートアスファルトがまちに増え、水たまりが減っていることも原因ではないかという。


「蚊」がいなくなっている……猛暑が原因か、「今年は蚊に刺されない」との実感も


夏だ。
夏で水たまりがない、
というところで、近所に最近整備された緑色の底面をした10m四方の小グラウンドに、ひたすら卵を産み付けようとするナツアカネ(トンボ)のことを思い出した。

水ないよ!

前日に雨降ったので極小の水たまりはあった。

でも、そこ水じゃないよ!


生物は極論すると、その存在の意味は「種を存続させること」だと言える。
セミは7年ほど土の中で木の根っこにしがみつきながら耐えに耐え、「愛をください」と叫びながら絶命する。
いろんな生物も、トンボもそうだ。

しかし、彼らトンボは、トンボ独特の前後結合で飛行しながら、緑色した偽りの「水面」にひたすら卵を産み付けようとする。
しかも4〜5カップルが同じことをしている。
ぼっちのオスらしきトンボも、カップルの行為に割り込もうと必死に周りを飛び続けていた。

彼らはなんのために生きたのだろうか。
いや、彼らの存在意義は、種としての意義だけではないかもしれない。
もともとビルドインされている種としての意義を超える形で、
生きていくなかでビルドアップした生きる目的というのがあるのかもしれない。


そこでまた思い出した。
一時期、自分が悩みに悩んだ頃に、中島義道氏の本をたくさん読んで腹落ちしたのは、
「生きる意味は、ない。ただ、生きている意味は、ある」
ということ。
生きる自体には、共通の、大きな目的はおそらく生きること自体、種を存続させることのみだろう。
でも、
生きていることで他人と多く関係し、影響を及ぼし及ぼされ、社会に少なからず触れて、生きている。



トンボのカップルは、数日で見なくなった。
シオカラトンボが飛んでいた。

なんで緑色の底面を水と勘違いしてるのという疑問とともに、シオカラトンボはなんでシオカラなんだろう、食べたひとがいるのかな、という疑問を乗せて、自分の人生は静かに進んでいく。