ときには負の感情に襲われることもあるよね
久しぶりのエントリー。
衆院選は、希望・民進の破談で自公の圧勝と。野党が割れればそりゃそうなるよね、ということで。
※写真は長野にいったときに珍しいと聞いた日本酒 「玄舞」
分を知る、という言葉がある。
分を弁える、というよりは、知ること。
分とは本分、自分の道を知るということで、分を弁えた結果として、自分が自分を知らないということに気づいた件をメモっておく。
===
昨日、ある勉強会に参加して、久しぶりに強烈な劣等感をもった。
そのときのテーマが自分自身、できるだけ学ぶことを避けていたものでもあるし、わからない言葉ばかり。
よく、他人と自分は比べてはいけない、という言葉もあるが、周りを見渡せば一定程度、立場のある方ばかりだった。
朝から大事な用事に少し遅れたり、もともと体調よくないなかで、その勉強会に参加した際に、すでに負の感情で参加していたと、思い返すとそう思う。
参加して、ひととおり話も聞いて、自分がしゃべるタイミングでもあまりにも気の利いたことが言えず、場違い感を感じながらその場を後にした。
帰り道では、久しぶりにもった強烈な劣等感を、じっくり味わっていた。
自分がよく知らないテーマだ、しょうがない。
ピント外れな質問をしたことも、あまりにも知識がないから。
そもそも一日、変な感じだったしね、仕方ないよ。
そうして自分をできるだけ矮小に考え、期待を持たないようにしていくと、なんだか劣等感を忘れられる気がする。
自分の「分」を弁えて、自分なんてこんなもんだよと考えて、行動すればできるだけ傷が小さくなる。
辛いことからは逃げればいいね。
夜の帰路にはグチる知り合いもいず、最近引っ越したので寄るべき飲み屋もない。
夜の考え事はドツボにはまることを知っているので、ひとりラーメンを食べて帰ってすぐ寝てしまった。
===
起きた。
劣等感にどう向き合うか。
今回、自分がやった対処は、自分が傷つくことを避けていただけ、その勉強会に集まることの意味に、本気で向き合っていなかったことに気づいた。
自分のことを知る。
自分の強みを知ることでもあるし、自分の弱みはその時点では諦めることができるか。
ないものねだりをした段階で、心は分から引き離されて、穏やかな気持ちをなくしてしまう。
どれだけ自分から違う雰囲気のところにいても、自らの立ち位置から、考えられること、提供できることを考えられていれば、今回のような劣等感をもつことはなかった。
このあたりで、アドラーで言うところの劣等感と劣等コンプレックスのことを思い出した。
ひとは劣等感をもつことで、その差を埋めようと頑張れる。
今回のことは、あらためて自分が「多くのことを知らない」ということを思い出すきっかけになったし、「自分がもっていなくて相手が持っているものを考えるより、自分がもっているものをいかに生かせるか」が問われる、ということを考えさせられた。
さらに言うと、「自分が知らない」というよは、怠慢の表明だ。本当に知りたければ少しでもググったり本を読めばいい。
劣等感をもつ機会はとても大事だけど、それを感じないような心づもりや準備、心構えは必要だ。
そんなことを感じた昨日でした。