6日目。
早いもので8月も三分の一が過ぎようとしている。
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朝、駅から役場まで歩く途中で、陽射しが和らいできたことを感じた。
まだアツいんだけどね。
そろそろ秋が箱根の山の向こうに控えて、出番を待っているのだろう。
今日は、対話会の具体的な日付を決めていった。
大事な将来のことを決めていこうとすると、より多くの方に関わっていただくのがのぞましい。
小さなまちではあるけど、とてもこういう動きにはよく参加してくれると聞いているので楽しみしかない。
ナショナリズムを突き詰めると、もとは家族愛だという話がある。
国のような広い視点の話と、自分の半径3メートルくらいの話は意外と通じていたりする。
なので、
地域のことやまちのことを考えるというのは、実のところ、
「自分が楽しく過不足なく生活できているか」
「自分の周りの家族や知人が良い時間を過ごせているか」
「地域の人が幸せに生きているか」
といったことにもつながっていく。
ここらへんはまさにウェルビーイング(well-being)を追い求める姿勢に近い。
幸せな状態であるとは、
自分だけが幸福であるというのもそれにつながるけども、
他者とともに幸せをお互いに与えて、享受するという関係性や願いの中にも存在する。
「このまちに住んでいてよかった」
すでにそう思っている住民も数多くいるんだろうけど、
社会変化や人的・財政的・物的な制約は嫌が応にでも広がっていく。
公的機関が地域のことを決めて、執行していた幸せな時期は過ぎて、
団体自治への着目は、住民自治への不可逆的な要請の中で重要性を減少させていく。
いまこのまちで生活する住民がものごとを決め、住民がやっていく。
生活していない住民も重要な主体として、まとづくりに関わる余地を増やしていく。
正解がないこの時代に、行政職員の役割や思いはどこに向かっていくんだろうか。