新日本紀行ふたたび〜NHKアーカイブス〜「神々が舞う山里〜宮崎県高千穂〜」をみたよ
NHKオンラインより番組詳細。
「天孫降臨の地」といわれる宮崎県高千穂。毎年冬になると夜を徹して舞い続ける「夜神楽」が集落ごとに開かれる。昭和57年の新日本紀行は、舞い手の一人である工藤彰さんを中心に、神々の里の風土を描いた。あれから26年、当時27歳だった工藤さんは53歳となり、地区の神楽を支えている。そして2008年、長男の瑞紀さんが本格的に神楽を始めるようになった。神楽に取り組む親子を通して“神々の里”で暮らす人々を描く。
昭和57年というと、私が生まれる3年前。
25年前の山々、その土地、ひとびと。
いまの情景。
ほとんど変わりはないのだけど、変わっていたなあ。
ひとの問題。「夜神楽」を舞う後継者がいない。こどもも毎年生まれてはいるが、数が少ないからほかの集落の舞の練習と一緒にしたりする。件の瑞紀さんのようなひとが出てこないのね。
見てるひとの中には、最近は外国人の姿もみられるとか。
ご神体が通る道に注連縄をつけてゆく作業も、老年の方が行ってる。
歩む道はアスファルト。
800年の歴史を持つご神事も、やがて消え行くのかなあ。
神なるもの、それを祭るひとびと。祭りの意味。
祭りを楽しむひとの笑顔はまぶしかった。
故郷をもたない自分に、ちょっと思うところがある。
25年の時がすぎ、25年の時を知る。
「25年前、神楽を行うのは集落の家。改装が必要だが、神楽が行われるのは名誉なので自費でする。」
「いまは公民館で行われている。」
「25年前、集落唯一の産科医の方がその神事の写真をとっている。」
「いまは老人の集まる施設で勤めている。写真は本を出すまでにたまった。」
「25年前は長老に神楽の舞を習う若者だった。」
「いまでは地区の舞を支える。息子も神楽を本格的にはじめる。」
地方ではこういった類のものはあたりまえのように進んでいるのだろう。
少子高齢化によって土地を支える力が失われている、土地のひとびとを支える若さがなくなっている。
老齢者が老齢者を支えている現状。
私の祖母も、ボランティアで老人ホームにはいっている方たちのお世話を70歳でしていた。
つらい、と言っていたが、最近とうとう足の関節に痛みがはしるため行けなくなってしまった。
若いひとは単純に減っているだけでなく、都市の中心に集まっていく。
中央と地方の格差、都市への憧れ、地方は負け組みというイメージ。
経済や文化的な格差で、都市化のすすむ国では当然のことであろう。
だれだってお金がほしいよ、かっこよく、かわいくなりたいよ。
地方にはそんな価値はないだろうね。
そういう価値で動いていないだろうし。
地方、不便。コンビ二ないし、遊ぶとこもないから。
移動は車じゃないとだし、ほしいものは遠くにいかないとない。
私は地方都市としてはまあまあな八王子に生まれた。
育ったのは日野だが、ちょっといけば八王子の市街地だった。
その意味であまり極端な「地方」を感じなかった。
父方の田舎が長野県だった。
数年前まで、周りは山しかなかった。
昨年、佐賀市にいった。
旧市街地の疲弊はすごいものだった。
青森市にいった。
駅前は栄えていた。
地方、そして中央。
感じることはあるのだけどうまく言葉にならない。
ちょっと考えます。