安倍元首相の逝去に際して書いておく
ショッキングな報から一夜あけた。
昨日、たまたまつけたテレビの速報で、
「奈良で選挙運動中の男性が銃撃される。安倍元首相とみられる」
というニュースが流れた。
懸命な救命の甲斐もなく、亡くなられた。
若くして期待された政界のプリンス。
今後の日本の方向性に大きな影響力を発揮した、実行力ある政治家だった。
意図的に報じられない部分もあるだろうなかで、
いまのところ伝わってきているのは、
犯人の犯行理由の理不尽さというか、不可解さというか。
「特定の宗教団体につながりがあると思い込み、犯行におよんだ」
それなら、なぜ安倍元首相が狙われなければいけなかったのか。
自分が見える範囲でだが、
報道や政治家が「選挙期間中に行われた蛮行。民主主義への挑戦。決して許されることではない。」
といった言説を多く目にする。
大きな社会への影響があるのに、
何度か見かける、演説会場で本人が登場した後方でたたずむ犯人の顔には、
なんというか、
悲壮な決意もなければ、なにも感じられないような表情で、
ただそこにたたずんでいる。
なんなら、安倍元首相が登壇して拍手までしている。
そしてそのあと、
自宅で用意した手製の銃を使って、
1発目を放ち、2発目で本人へ致命傷を負わせている。
逃げるわけでもなくその場でたたずんで、
SPや警備に捕まる様子を写真でもよく目にするが、
なにか大きなことを成し遂げたという思いもなく、
自分が犯した罪や影響の大きさをまるで意に介さないような、
そんな表情で羽交い締めにされ、地面に押さえつけられていた。
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ぶこめでも、
「こんなことが起きるはずがないということが、起きてしまった。
こういうことが起きる日本になってしまったということが、
空恐ろしい」
と書いた。
元首相を亡き者にするという社会への大きな影響、その残酷な意味と。
それと、
ひょうひょうと、というか、
事を成した意味をまるで理解していない(と見える)
犯人の語る言葉の軽さや理由の不可解さ、
このギャップが、空恐ろしい。
昨年の衆院選でなんとなく感じた、
著名な政治家への逆風と落選(確実な地盤・看板がある人はそこまで目立たなかったが)。
SNSでも感じる、
「傷つける」ことへの無理解というか、
(一部であることは理解しつつも、個への影響の大きさは計り知れない)。
ことさら社会の分断にふれるつもりはないが、
とにかくよくわからない。
理解のできなさ、不可解さ、
そんな巨大なグロテスクなエネルギーが
簡単に元首相の命を奪ってしまったという事実が、
今後の社会にどんな影響を与えるか。
とにかくよくわからない。
その気持ち悪さを、こうして文字に残しておきたい。
改めて、哀悼の意を表します。