Facedookからのメール
迷惑メールにやられたー!
Facebookからのメールと思ってリンクを踏んだら工事中と出たのでまさか…と見直したら…(^^;;
Facedookだった。
よく見ればゲスト様、なんてメールは来ない。
やられた。
結果、これまでの10倍くらいの迷惑メールが届くようになりいい加減イライラしてきた。
自分の不注意が原因とはいえ、なんか復讐したいわ。
皆様はマジでご注意ください!
名を付けるというのは、その未来を考えること
前回エントリーからしばらく時が空いた。
その間いろいろあったが、また改めて。
いまは。
名付けでいろいろ考える
なにかに名を付けるということをしている。
それは、これからのそれの、未来に責任を持つということ。
それの未来に関わり続ける、その意思の力を宿すということ。
あの未来よりもこの未来を選ぶ、ということを自ら決め、そして自ら選びとり、それ自体に選びとってもらう、ということ。
つまり、
何でもかんでも人に教わろうと思うな。
自分で考えろ!ということ。
トンボの悲しいサガとか生きる意味と生きている意味とか
どうして生きてるのか
写真は吉祥寺でパンケーキ。
飲みの後にこんなん食ってるから太る。
しかし、
おいしそうとか、おいしいかもしれないという喜びは、生の喜びに直結しているので強烈でわかりやすい。
生きる理由は、ざっくりいって仕事か家族か自分事の3つに分けられる。
とか考えてるうちに、
下のニュースを見た。
夏だ。
夏で水たまりがない、
というところで、近所に最近整備された緑色の底面をした10m四方の小グラウンドに、ひたすら卵を産み付けようとするナツアカネ(トンボ)のことを思い出した。
水ないよ!
前日に雨降ったので極小の水たまりはあった。
でも、そこ水じゃないよ!
生物は極論すると、その存在の意味は「種を存続させること」だと言える。
セミは7年ほど土の中で木の根っこにしがみつきながら耐えに耐え、「愛をください」と叫びながら絶命する。
いろんな生物も、トンボもそうだ。
しかし、彼らトンボは、トンボ独特の前後結合で飛行しながら、緑色した偽りの「水面」にひたすら卵を産み付けようとする。
しかも4〜5カップルが同じことをしている。
ぼっちのオスらしきトンボも、カップルの行為に割り込もうと必死に周りを飛び続けていた。
彼らはなんのために生きたのだろうか。
いや、彼らの存在意義は、種としての意義だけではないかもしれない。
もともとビルドインされている種としての意義を超える形で、
生きていくなかでビルドアップした生きる目的というのがあるのかもしれない。
そこでまた思い出した。
一時期、自分が悩みに悩んだ頃に、中島義道氏の本をたくさん読んで腹落ちしたのは、
「生きる意味は、ない。ただ、生きている意味は、ある」
ということ。
生きる自体には、共通の、大きな目的はおそらく生きること自体、種を存続させることのみだろう。
でも、
生きていることで他人と多く関係し、影響を及ぼし及ぼされ、社会に少なからず触れて、生きている。
トンボのカップルは、数日で見なくなった。
シオカラトンボが飛んでいた。
なんで緑色の底面を水と勘違いしてるのという疑問とともに、シオカラトンボはなんでシオカラなんだろう、食べたひとがいるのかな、という疑問を乗せて、自分の人生は静かに進んでいく。
仕事の繋げ方はいろいろありますよね
夜は更けまして
今日は中野で5年来の知人(仮にMさんとする)とご一緒させていただく。
二次会としてBAR イリュージョンを紹介された。雰囲気いい店。
オブザーバー的に女性2名も入ってもらったが、Mさんのお話は、彼女たちだけでなく、私の勉強にもなった。
その方は、いまはフリーでお仕事をされているが、私なんかには想像できないほどの人脈で、数々の大きな仕事に従事されている。
その方に、ネットワークを広げるコツを聞いたところ、「仕事をしたその人から、さらに紹介してもらうこと」だと言っていた。
待っていても仕事はこず、攻めの姿勢で仕事を取りにいくのが普段の姿勢だが、コネクションによる仕事をつなげていくことが最も重要だ、と。
この話を聞いて、「キーマンは、同じように他のキーマンを知っている」という言葉も思い出す。
人と人との繋がりにはいろいろな形があるが、「あの人の紹介なら」という繋がりを広げていくことで、Mさんは仕事を繋げることができている。
そんなお話。