この夏はいろいろなことを変えていく機会になりそう。
誰かの「胎界」(by胎界主)で生きていると
自分もその世界を飛び出して、小さな世界の主になりたくなってくる。
荒野に飛び出して、ホンモノになれるのは
数多に積み重なる地べたの遺骸を超えたものだけ。
「まち」に関わろうとすると、そのまちがどのように動いているかを知りたくなってくる。
人の流れ、お金の動き、意思決定のあり方、過去にどういう物事があって、今と未来があるのか。
「時とモノ」はすぐには変えられない。
「ヒトとカネ」は変えようと思えば変えることができる。
それでも、ヒトの「意識、思考、行動」は、
その人のものであるのと同時に、
そのまちのものでもあるわけで、
だからこそ、そのまちでの教育・育成はそのまちがやることになっている。
その上で、自分の成長は自分たちのものだ。
自らのまちの衰退や成長は誰のものだろうか。
生きているうちに「まちにかかわる」のは、
そのまちに住んでいる人だけではない。
たまたま観光で訪問した人、祭りを目当てに来た人、雰囲気や風景が好きで来てみた人、そのまちに住んでみることにした人。
これから夏を過ぎて、私は新しく「まちにかかわる」わけですが
この「まちにかかわる」という意味と価値を広げていくのがミッションだと思っている。
価値は未来のもの。
貨幣の価値は、これから利用する予定の、他の価値あるものと交換するために使われる。
自分という存在は、どのようなものを創るためにあるのだろうか。
意味は過去のもの。
言葉の意味は、過去の文化や生活の蓄積から生まれる。
何かを創っていった先に自らの存在も意味が生まれてくるのだろう。
人が生きること自体に意味はないが、生きている価値はある。
「本当に恐ろしいのは、本当に生きないことだ」
中学生から高校生になる春休みに読んだ分厚い本に書いてあった。
この言葉に意味が生まれるためには
価値ある自分を創ることが必要になってくる。
変わっていけるか。
そして、変えるという気持ちを創っていけるか。