yuichi0613's diary

yuichi0613の雑記、写真、日々の記録。

仕事関連のイベントに気づいたことを残しておく、ということをする

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約一ヶ月前、いま関わっている仕事の参加者さんが毎年開催している自主的な勉強会があるというので参加してきた。

いろいろ面白いなあと思うことはあって、こういうことをそれこそ遠隔地からわざわざ集まって同窓会みたいなことをするのはいいことだなあと改めて感じた。

一方で、少しぼかして言うが、一度鋭くなった刃も、研がないと切れる刃としては使えなくなるとも感じた。
そういう環境がそうさせてしまうのか。難しいものだ。

その他で気づいた点といえば、ダイアログのルールは普段から使っていくことが普段の人たちとの付き合い方でもなんでも、有効である、ということと、言葉の使い方を少し変えれば、その思い込みも変わる、ということ。


ちょっとした意識の違いに気をつけて心がけることで、いまを変えることができる、というのはこのタイミングで聞いてよいてよかった言葉だった。



思い込みを変える、という自分からの変化。

悪夢でうなされて

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悪夢

比較的、寝付きが良いほうなので、先ほど悪夢にうなされて起きたことに自分自身、びっくりした。

たったの15分の睡眠時間のなかで、もう一つの人生は孤独な心持ちに苛まれて悲鳴をあげた。
ゆっくり深呼吸し、次こそは幸せのある人生に、滑り出してほしいと願いつつ、眠りに落ちる。

本田靖春

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本田靖春という男


たまたま実家に帰ることがあり、久しぶりに自室でふとんを敷いて寝ようとした。
自分の部屋には約1千冊ほどの本があるので、一人寝の夜には誘惑が多い。
なかにはタイトルが一目でわからない形でつみあがっている本もあり、たまたまそのなかでふと手に取ったのが本書だ。

自分にとっての本田靖春とは、ある種の夢の理想形であり、20代前半から憧れ続けたジャーナリストである。
主観的ジャーナリズムとでも言うべき我の強さが特徴な記者で、「黄色い血キャンペーン」により売血に依存を脱して日本の献血制度を確立。かつて輝かしかった「読売新聞社会部」の最後の世代。
フリージャーナリストとしては、吉展ちゃん誘拐事件を題材にした「誘拐」、記者と彼らが集まるトリスバーのママさんを中心に描いた「警察回り」、立松記者と検察内部の権力闘争を描いた「不当逮捕」などが著名。
個人的には、絶筆となった自伝的連載「我、拗ね者として生涯を閉ず」に多大な影響を受けた。

作中、「ささやかに新聞記者だ」と言うセリフがあり心に響いた。けして奢らず、「魚の小骨」としてのジャーナリズムに誇りを持っているのだと、遠慮がちに語っているのが印象に残っている。


緻密な取材と筆力は実際に読んでいただければと思うが、初読から約10年。本田氏の特徴とは、その「立ち位置」の多様さにあるのだと思う。
生まれは朝鮮京城。かの地での裕福な暮らしと、植民地としての朝鮮。日本の敗戦と米軍、戦後民主主義。新聞記者として、数々の現場にその身ごと入り込んで取材を続けた。
その立ち位置の多様さが、文章を読むものに新たな気づきを与えているのだと思う。




ここで本田氏に関係して、自分語り。
記者を目指した1人のちっぽけな学生は、彼の命日にお墓に立ち寄って、数年の執着であった新聞記者の夢を諦めた。
夕暮れ時、文学者の墓の前にのぼる三筋の線香のけむりが、その場だけを周りの世界と隔絶していた。

けっきょくは自分が決めるしかない。
そして、決めたらやるしかない。


どろっとしたこだわりの塊を預けて、背中を押されるように霊園を後にしたことが懐かしく感じる。
本田靖春という男。
自分は諦めた男だけど、一度でいいからお会いしてお話をしたかった。

天丼 金子半之助は夕方でも混んでるよね

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金子半之助 天丼

やっと行ってきた。
日本橋 金子半之助。

昼時に行くのは現実的ではないので夕方行ったんだけど、16時すぎでも30分以上は待った。
この時点で、この店に行ける人はかなり限られてきそう。
あと、揚げている人が心配になる。精神衛生上は大丈夫なのだろうか。


もう端的に言うと、このボリュームでこの味と価格は大満足で、並ぶ価値はある。
名物のたまご天ぷらも珍しさで吉。ごはんや他の天ぷらに絡ませるのもいい。
あなごの天ぷらの大きさは写真の通り、丼の直径×1.5くらいなので見た目にも楽しませてくれる。
天丼、という意味ではこの店が最も良い価値を提供する店の一つだろうと思う。

今回は一階の席に座ったが、客の出入りをみてると二階にかなりのキャパがあるのではと感じた。
さすがに時間帯もあるが、夕方だと観光客4割に対して、ビジネスパーソンが5〜6割というところだった。


この時間帯でもいいから食べたくなるのは、実際に味わってみると共感できるところ。

1時間の昼食休憩を30分待って、25分で食べる。

褒めすぎかもだけど、そんなかんじ。

伊那は田舎すぎないな

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伊那谷にいってきた

少し時間が経ってしまったがメモ。
新宿から高速バスで約3時間。長野県は伊那市へ行って来た。なぜか山梨交通

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今年のジオパーク全国大会はこちらで開催された。ジオパークに微力ながら関わっていることもあり。


述べ6500人が集まったとのこと

大会の会場でもあり、市の施設の「いなっせ」の周りは多くの人で賑わっていた。
歩道に屋根が付いてるアーケード街が街中にあるが、そこに出ていた出店も夕方には大半が「売り切れ」だった。
ジオパーク活動が徐々に広がっている証左だろうと思う。

それにしても、伊那市というか、伊那谷の不思議な魅力はなんなのだろう。
木曽山脈赤石山脈という大きな山脈に挟まれた場所でありながら、伊那市のあたりはだだ広い盆地となっていて、なにか心が解放されたように感じた。
合併により、高遠も市内である。
地元の方は、塩の道といい、諏訪の文化圏から少し離れた場所柄ということもあり、この地は「通過点」だった、ということを言っていた。
元は図書館だった、創造館なるモダンな建物へ行くと、地質や珍しい縄文時代の精巧な土器も見られる。戦後にはGHQも利用したとのこと(英語による落書きやダンスホールはとても興味深い)。
ここにある蔵書は、戦前の図書が極めて保存状態良く残っている。そのときは伺えなかったが、高遠には旧藩校の蔵書が残っていると耳にした。
アーケード街にもレンガ調の建物がアーケードの屋根越しに覗いていたり、街並みもどこか懐かしい。大阪から移り住んだ方がやっている居酒屋は、元は歯科医院でとてもおしゃれだ。川沿いにひしめくように並ぶ家屋と店の看板は一昔前、という言葉が相応しい。かつての日本がそこらに残っているのだなと感じた。身近な風景で言えば、八王子の甲州街道にいまも残る戦前のにおいだろうか。


明確なことは言えないが、個人的な印象論で言えば、田舎すぎない田舎、というところが魅力の一つかもしれない。
ある人は、交通手段がもっぱら高速バスで、「陸の孤島」だと自虐的に言う。またある人は、「もっと伊那を知ってほしいが、あまり人が増えすぎて欲しくない」という声もあった。
この絶妙なバランスが、伊那に感じる適度な居心地の良さを生んでいるのかもしれない。



おまけで、「田村」のソースカツ丼
ぶ厚い肉と濃すぎないがごはんが進むソース味。
紹介いただいた方いわく、「ソースカツ丼は駒ケ根も有名だけど、伊那のほうが地域に根付いている」と。
そんなかんじもする。

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