トイレットペーパーはいかにして収納されるべきか?
小ネタ。某居酒屋のトイレ。
おしゃれさと実益を兼ねた収納といえる。
仕事関連のイベントに気づいたことを残しておく、ということをする
いろいろ面白いなあと思うことはあって、こういうことをそれこそ遠隔地からわざわざ集まって同窓会みたいなことをするのはいいことだなあと改めて感じた。
一方で、少しぼかして言うが、一度鋭くなった刃も、研がないと切れる刃としては使えなくなるとも感じた。
そういう環境がそうさせてしまうのか。難しいものだ。
その他で気づいた点といえば、ダイアログのルールは普段から使っていくことが普段の人たちとの付き合い方でもなんでも、有効である、ということと、言葉の使い方を少し変えれば、その思い込みも変わる、ということ。
ちょっとした意識の違いに気をつけて心がけることで、いまを変えることができる、というのはこのタイミングで聞いてよいてよかった言葉だった。
思い込みを変える、という自分からの変化。
本田靖春
本田靖春という男
たまたま実家に帰ることがあり、久しぶりに自室でふとんを敷いて寝ようとした。
自分の部屋には約1千冊ほどの本があるので、一人寝の夜には誘惑が多い。
なかにはタイトルが一目でわからない形でつみあがっている本もあり、たまたまそのなかでふと手に取ったのが本書だ。
自分にとっての本田靖春とは、ある種の夢の理想形であり、20代前半から憧れ続けたジャーナリストである。
フリージャーナリストとしては、吉展ちゃん誘拐事件を題材にした「誘拐」、記者と彼らが集まるトリスバーのママさんを中心に描いた「警察回り」、立松記者と検察内部の権力闘争を描いた「不当逮捕」などが著名。
個人的には、絶筆となった自伝的連載「我、拗ね者として生涯を閉ず」に多大な影響を受けた。
作中、「ささやかに新聞記者だ」と言うセリフがあり心に響いた。けして奢らず、「魚の小骨」としてのジャーナリズムに誇りを持っているのだと、遠慮がちに語っているのが印象に残っている。
緻密な取材と筆力は実際に読んでいただければと思うが、初読から約10年。本田氏の特徴とは、その「立ち位置」の多様さにあるのだと思う。
その立ち位置の多様さが、文章を読むものに新たな気づきを与えているのだと思う。
ここで本田氏に関係して、自分語り。
記者を目指した1人のちっぽけな学生は、彼の命日にお墓に立ち寄って、数年の執着であった新聞記者の夢を諦めた。
夕暮れ時、文学者の墓の前にのぼる三筋の線香のけむりが、その場だけを周りの世界と隔絶していた。
けっきょくは自分が決めるしかない。
そして、決めたらやるしかない。
どろっとしたこだわりの塊を預けて、背中を押されるように霊園を後にしたことが懐かしく感じる。
本田靖春という男。
自分は諦めた男だけど、一度でいいからお会いしてお話をしたかった。
天丼 金子半之助は夕方でも混んでるよね
金子半之助 天丼
やっと行ってきた。
日本橋 金子半之助。
昼時に行くのは現実的ではないので夕方行ったんだけど、16時すぎでも30分以上は待った。
この時点で、この店に行ける人はかなり限られてきそう。
あと、揚げている人が心配になる。精神衛生上は大丈夫なのだろうか。
もう端的に言うと、このボリュームでこの味と価格は大満足で、並ぶ価値はある。
名物のたまご天ぷらも珍しさで吉。ごはんや他の天ぷらに絡ませるのもいい。
あなごの天ぷらの大きさは写真の通り、丼の直径×1.5くらいなので見た目にも楽しませてくれる。
天丼、という意味ではこの店が最も良い価値を提供する店の一つだろうと思う。
今回は一階の席に座ったが、客の出入りをみてると二階にかなりのキャパがあるのではと感じた。
さすがに時間帯もあるが、夕方だと観光客4割に対して、ビジネスパーソンが5〜6割というところだった。
この時間帯でもいいから食べたくなるのは、実際に味わってみると共感できるところ。
1時間の昼食休憩を30分待って、25分で食べる。
褒めすぎかもだけど、そんなかんじ。
伊那は田舎すぎないな
伊那谷にいってきた
少し時間が経ってしまったがメモ。
述べ6500人が集まったとのこと
大会の会場でもあり、市の施設の「いなっせ」の周りは多くの人で賑わっていた。
歩道に屋根が付いてるアーケード街が街中にあるが、そこに出ていた出店も夕方には大半が「売り切れ」だった。
ジオパーク活動が徐々に広がっている証左だろうと思う。
合併により、高遠も市内である。
地元の方は、塩の道といい、諏訪の文化圏から少し離れた場所柄ということもあり、この地は「通過点」だった、ということを言っていた。
ここにある蔵書は、戦前の図書が極めて保存状態良く残っている。そのときは伺えなかったが、高遠には旧藩校の蔵書が残っていると耳にした。
アーケード街にもレンガ調の建物がアーケードの屋根越しに覗いていたり、街並みもどこか懐かしい。大阪から移り住んだ方がやっている居酒屋は、元は歯科医院でとてもおしゃれだ。川沿いにひしめくように並ぶ家屋と店の看板は一昔前、という言葉が相応しい。かつての日本がそこらに残っているのだなと感じた。身近な風景で言えば、八王子の甲州街道にいまも残る戦前のにおいだろうか。
明確なことは言えないが、個人的な印象論で言えば、田舎すぎない田舎、というところが魅力の一つかもしれない。
この絶妙なバランスが、伊那に感じる適度な居心地の良さを生んでいるのかもしれない。
おまけで、「田村」のソースカツ丼。
ぶ厚い肉と濃すぎないがごはんが進むソース味。
そんなかんじもする。