空模様と田舎と祖母
空がみょうに美しくて、写真を撮ってみた。
車の窓ガラスに映る空模様は、ガラスのカーブに沿いながら青く白い「そのままの空」を表現してくれる。
いいなあ。
雲間に覗く陽光の煌めきがゆっくりとした田舎の時間にアクセントとなって心に残る。
そうしているうちに、もう田舎にはあまり帰らなくなるなと、寂しくなった。
これまで、田舎にはよく帰っていた。
正月、GW、夏休み、大晦日。
それぞれの季節、それぞれの風景とそれぞれの生活がそこにはあった。
祖父はもう亡くなって15年ほどになる。
祖母は今年の3月に生涯を閉じた。
祖母は祖父が急死してから、一人でこの田舎に住んでいた。
よくそこに私一人で行ったものだ。
祖母の話しを聞きに行った。
彼らにしかない物語がそこにはある。
時代の空気を感じるには、その時代を生きた人から話しを聞くことでしか得られないと思っていたから。
祖母から語られる人生の物語は、現代日本しか生きてこなかった私に、直接的な昭和の日本を想像させるに十分なものだった。
彼女のものごころついたときには大東亜戦争があった。塩尻の女学校にすすみ、学徒動員、そして終戦。
「紙爆弾」の軍事工場にいた軍人の、権威を笠に着た偉ぶった姿が忘れられないと言っていた。終戦後、彼がどうなったかは知らない。
こうした価値転倒を経験し、いかに作られた権威がもろいものか、そして恐ろしいものかを語ってくれた。
たった60年前にあった、数々の人生を、社会を、国を変えた「変化」がそこにはあった。
彼女が共産党を親のカタキのように嫌っているのも、その時代の残光のようにも感じた。
明るくも厳しい祖母。皮肉屋でもあったが、小さな体に似合わず、気丈な昔気質の女性だった。
残念ながら一族の宿痾である肺の病気でこの世を去った。
今年は新盆。
この地域では「あらぼん」と呼ぶ。
この空は墓参りのときに撮影した。
墓に眠る祖母、そして祖父の物語はすでに新たなページに書き込まれることはないのだなあと思うと、いまを悩む自分が小さく感じられる。
なにか、ふっとしたときに人生があることを傍観すると、その空虚な偉大さに畏怖さえも覚える。そんな感慨。
彼女が住んでいたこの家にいると、すっかり主の気配が消えたことが実感される。
よく座っていたソファーはほこりがかぶる。手塩にかけた花が咲いていた裏庭は、背の高い雑草だらけになってしまった。
人の生はなにも残さない。
残るとしたらそれは、彼らの生が作りだした「何か」の影としての「思い」だけだろう。
その「思い」に背中を押されて、ようやくこの生を生きている。
「そんな人生、あんたには合わないよ」
そんな皮肉を後ろから聞きながら、「おそらくあなたから受け継いだ『拗ね者』の気性のせいですよ」と、若干困りつつも、そのじゃじゃ馬のような愛おしい「思い」に、楽観的にただ身を任せて今日も宥和な時を刻んでいく。