yuichi0613's diary

yuichi0613の雑記、写真、日々の記録。

「鉄腕アトム 地上最大のロボット」を読んだ感想

先に浦沢直樹「PLUTO」を読んで、原作はどんなものかと読んでみた。というのも、正直、浦沢氏の作品のラストシーンに違和感を持ったからだ。


…まず前提として、「鉄腕アトム」を全部読んだわけでも漫画にすごい詳しいわけでもない個人のしがない感想ゆえ、ご容赦を。


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別モノです。


別ものだった。
リメイク版である以上は、設定上の加点、減点は当然だけど、半ばテーマまで変わるかというほど。

浦沢バージョンでは、ラストシーンに違和感があったので、たぶんこの違いのせいじゃないかと思ってる。

つまり、ロボットの描き方。
手塚原作に比べて、浦沢バージョンは、ロボットについて語りすぎている。それをドラマとも言うのかもしれない。
まあ、ラストシーンだけを取り出して、論じることに異論はあるかもしれないけど、しかしあれだけ様々な変更がある中で、終着点=ラストシーンの語りを一緒にさせている以上、ある程度言われることは描かれたほうも考えてはいるだろうし。

原作は、シンプルに「ロボット=力」という考え方が基本で、サルタンの野望がそれ。しかし終盤にプルートゥは火山噴火の場面で「人間のために労働する」という本来のロボットの存在意義を思い出してその命を終える。手塚治虫氏はラストシーンでアトムに「きっと未来では人間とロボットは仲良く暮らす」と語らせている。
彼らロボットは非常にシンプルだ。
ロボットだけに非常に命令に対して素直な面がある。プルートゥはサルタンに「7体のロボットを壊せ」と言われ、その通りにする。しかし、アトムに成り代わりパンツ一丁でやけになまめかしいウランは壊さない、いや壊せない。そうプログラムされているから。
さらわれたウランを助けにきたアトムが、プルートゥに戦うのは止めてくれと言った言葉に対して、「そう言われたからやる。君がウランを助けにここに来たのと同じ」という旨の言葉を返す。
プルートゥの存在意義が「ロボットを壊す」という実にシンプルである。

だからこそ、ロボットがきっといいやつになってくれるという楽観的な想定が可能であり、ラストシーンにはアトムの願望に説得力がある。

一方の浦沢バージョンは、「ロボットと人間」、「人を殺すロボット」、「ロボットの感情」、「力=戦争にうんざりした7大ロボット」、「」といったテーマ、つまりロボットの感情、そしてプログラムが完璧な、人間とほとんど同じロボット、というテーマまで踏み込んでいるために、むしろ「ロボット=人間」になった世の中では、将来のロボットと人間の関係は、悪い想像しかできない。
恐らくここに、私は浦沢バージョンでラストシーンのアトムの希望的観測に違和感を受けたのではないかと思う。

いや実際、浦沢アトムは面白かった。しかし、アトムの願いに説得力を感じられなかった作品になっていることは、作品の評価としてはどちらに解釈されるのだろうか。
手塚原作がドラマ性が薄いのはたしかに読み比べてわかるが、アトムが悲しげに希望を述べる作品というのは、おそらく少年漫画ではなく青年漫画だと感じた。