yuichi0613's diary

yuichi0613の雑記、写真、日々の記録。

『創』「テレビ局の徹底研究」を読んだよ

たまたま見つけた『創』08年1月号に「テレビ局の徹底研究」という特集があった。
このあと4月号まで、マスコミ研究の特集をしている。

さて、「テレビ局の徹底研究」。内容としては、以下。

  • [対談]曲がり角迎えたテレビ局に未来はあるのか

ばばこういち×服部孝章

  • NHK経営委員会vs執行機関対立の構図

小田桐誠

  • G戦も削減!日本テレビ「構造改革」の胸突き八丁

丸山昇

  • 視聴率はやや低迷なれどTBSを覆う上昇気流

小池正春

  • 視聴率では独走状態 フジテレビの強みと悩み

清水富美子

  • 「開局50周年」迎えたテレビ朝日の攻勢

高橋敬一

  • 経済、アニメ、旅・グルメ 独自路線をひた走るテレビ東京

道田陽一

大学生、就職試験前のまとめ〜みたいな特集だと思うので、比較的大枠でまとまっている。

最初のテレビ局の未来についての対談。

「ワイドショーが芸能ネタから政治ネタ、企業の不祥事などの社会ネタをやるようになる「ワイドショーの硬派化」によって、朝から晩まで一日中同じことをやっている」

これはテレビを見ていると思うことだ。
いわゆる報道番組やワイドショーが同じ映像で同じことを扱うので、もったいない気がする。

インターンシップで某大手キー局の中を覗いたことがあった。
その日扱うニュースの決定は、それぞれの番組の責任者(チーフディレクター?)が15時くらいに集まって、記者がとってきたニュースやその日に起きるであろうニュースについて議論し、そのあとに責任者の裁量である程度決めていたと思う。
わざわざ新しく映像をつなぎ合わせてたとえば5分の映像を作るのはかなりの時間がかかる。
それなら前の映像を使ったほうがいろいろな意味で合理的だ。
こうして、同じ映像をつかって同じものを扱ってしまうのだろう。

そして、それが各局同じことをする。

「これは電通の広告の理論、マーケティングの理論、つまり視聴率15〜20%いかなければいけないという考えからきており、それをいつかやめなければならない」

視聴率は、お金のため。
放送、報道はなんのため?

「たとえ視聴率が10%いかないとしても見ている人は1,000万人近くいるのだからそれを意識すべきだ」
「もうテレビがかつての「お茶の間の話題の中心」ではなくなっているの」
まだまだ数十年はメディアの巨人であるだろう。
しかし、このままのペースで「劣化」が続けばどうなのだろう。
テレビの凋落がもし起きるとしたら、それが資本の論理で動く以上、一番早く流れる可能性はあると思う。

「画一的な視点からの報道の危機は90年代半ばからもう占われていたからとうとう来たかという状況。」
ここらへんはまあどうなんでしょうね。

そして、放送の質の話になると、最大の「格差社会」である業界の話になる。
芸能人には高いギャラを払うが、制作会社にほとんど還元されない構造になっているとし、それが起こしたともいえる「あるある大辞典ショック」がおきてもそのピンハネの構造を是正しようという努力はみられずに教訓を残さなかった。
一過性の問題で済まされてしまうのは、外部委員会のようなものを作ったりして評価をしないといけないのではないかと提言。
一方、公共放送を担うNHKの改革が、社会的な関心の低いなかで進んでいて、内部の論理のみが幅をきかせてしまっており、政治にいいようにやられているという。
そこで、大きな枠で言えば、「政治の緊張がメディアのバランスをつくるのではないか」という考えに至る。

政治の緊張がなかったため、メディアの政治報道が目指したのは視聴率という目標だったのではないか。
ふむ、それなら日本のメディアを説明できる・・・のかな?

「批評性を失ったテレビ。どれだけひとの関心を集められるかそれだけに興味のある作り手の価値観が、それを見ているひとの価値観を染めてしまい、社会規範をつくる怖さがある。」
誰の言葉か、「一億総白痴化」。
wikpediaを見たら、項目があった(参照
社会評論家の大宅壮一が生み出した流行語だという。

昔の言葉だからいまとは語感とは違うのだろうけども。
みたひとが報道を受けて、そのものについて考えることをせずに報道意図をそのまま受け取るという意味で判断力が低下しているというのはあると考えるがどうか。

・・・国民を信頼してなさすぎかな。
反省。

さて、これからのテレビはどうなるのだろう。
政治の緊張感による提供物の質の向上が先か。
自浄作用による質の向上はあるのか。
第三者機関はできるのか。
それとも、広告費の激変はあるのだろうか。

なんにせよ、テレビ局の曲がり角はメディアの曲がり角でもある。
テレビ単体ではなく、クロスメディアの形で変化は起こるだろう。