ネタっぽいけど、意外に大切にしている言葉とか
雨が続く。やだなあ。写真は慶良間のどこか。
知らないひとから言われた言葉
昨日、子供のときのことを書いたが、なんというか、青年期にありがちな、価値基準がゆらゆらと揺れ動いているなかで、なにか指標が欲しかったよね、という話なのかなとトイレで30秒ほど思い返して考えた。で、指標。
必ずしも親とか先生とか友達のように親い人に言われた言葉だけでなく、ふとしたときになぜか知らないひとから言われた言葉を、意外に大事に憶えてたりするな、と気づいた。
まあたぶん、思い込みって大事だよね、ということ。
とはいえ、2件だけだけど。
というところで、
なぜかデジャヴが。
なんだろ、同じ道を通ったのかしら。
さて、2件。
ダメそうなところこそ
ちょうどさっき、大学入試が終わって、個人的にはかなり冒険した大学の学部への入試挑戦だったので、テストの結果があまりかんばしくなく、その帰りの地下鉄のホームで、しょげていた覚えがある。
すると、
ホームで禿げた40代くらいのおっさんが「試験だったの」
と話しかけてくれた。
「そうなんです。でも、テストの結果がよくなくって」
「そうなんだ。そこの卒業生だから思わず話しかけてしまった。
まあ、ダメそうなところこそ、意外に、ってこともあるから」
「ありがとうございます」
たったこれだけだったが、後日、その大学学部に受かってることがわかった。
話しかけられるほどしょげていたのか、というのも気になるけど、
たまたま会ったひとにたまたまかけられた言葉がそのまんま現実となって、個人的にとても印象的だった。
「ダメそうなところこそ、意外に大丈夫かもしれない」
というのは、なんとなく頭の片隅に憶えている。
君は大物になる
これは大学の合格がわかって、春休みだったと思う。
なんかやらんば、と思い立って近所の図書館で本を読んだりしていた。それくらいしか頑張る方法が思いつかない若さよ。
んで、
今日も読んだし帰ろうという頃合いに、なぜかメガネの60代くらいのおっさんに話しかけられた。
「いま何歳?図書館通ってえらいね」
「18です。大学の合格が決まったので」
「おめでとう。大学ではなにをしたいの」
「まだ決めてませんが、社会に役立つことを」
「そうなんだね。きっと君は大物になるよ」
自分で語ったところによると、某大法学部を出たどっかのお寺の住職らしく、きっと暇だったんだろうなと思う。
あとから考えると、かなり適当に言ってるんだろうというのは気づいた。
けど、その頃の感覚としては、そんなひとにそういう言葉をかけてもらって嬉しかったんだろう。
なにか保証のような、失敗してもこうなるんだから、と前向きな解釈をするときには必ず頭をもたげてくる言葉だ。
青年期は、価値観が定まらず、ふらりふらりと心持ちが変わる。
その頃に、なにか保証をもって、人生の心理的背景となるような言葉ってのは、他の人にもあるものなのか。
かなり個人的に、しかもネタに近いけど本人は本気という言葉を選んでみた。
残念ながら大物にはなれてないのでハズレなんだけど、ちょっとしたつらいときにこういう思い込みのおかげで助かったことって、けっこうある。
それに頼っていた、それしか保証がなかったというのもどうかと思うけど、事実として、ね。
あ、
あと中学校のときの友人に、「yuichi0613は将来大物になるか、怠惰なクズ人間になる」と言われたこともあったな。
幸い、まだ後者にはなり切ってないようだ。