ある若者の挑戦への思い
写真は滋賀県近江八幡にある「たねや」のラコリーナに行ってきた。
…ここはなんだろ。
直売所、モール、パン屋、オムライス屋さん、お土産屋さん、そして特徴的な建物と空間がある。
音楽業界では「ここに来なくては楽しめない」というライブ感が大事と言われるけど、お菓子の食べごろが今日までとか、数時間みたいなバームクーヘンがあったりする。
なんだか面白いなあと。
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さて、
何を書くかはあまり考えてなかった。
どうしようと考えあぐねて、一昨日にやったある若者の壮行会について書く。
ただ、曖昧に書くので自分の思いの備忘録なんだろうな。
なにかをなしたいという思いを持って、行動している人がいる。
彼には多くの仲間がいる。
自分も同じ世代だからこそその思いにも共感するし、いつも刺激になっている。
そうした人が、思いもよらない新しい挑戦に向けて動き始めた。
その人には一から運動を作り上げてほしかったという思いもありつつ、でもその立場でないとできないことを重要視してその決断をしたんだろうとも思う。
素直に喜ぶ気持ちがある反面、その先になにがあるんだろうと訝しむ思いもある。
自分にはできない覚悟の形。
自分とは生きる世界が変わるなかで、彼はなにを成し遂げようとするんだろうか。
最初の志を大切にしてほしいなあと思うし、活躍もしてほしいなと思う。
彼がつくる渦をどう社会に広げていくか。
そうした一人称のあり方が自分には問われるだろうな。
ご活躍を祈念しています。
人に人差し指を向けるその手は、自分のほうにも向いている
この土日で関西方面まで旅行にいき、滋賀県琵琶湖博物館に寄ってきた。
滋賀県立琵琶湖博物館 | びわ博(びわはく)は、湖にのぞむ、日本有数の総合博物館です。国内最大級の淡水の生き物の水族展示、また琵琶湖の地学・歴史・環境についての展示があります。
琵琶湖や同じ大きな湖のバイカル湖の生き物を展示した水族館と、子どもや大人が新たな発見をするためのディスカバリールームに寄ったけどよく考えられていて楽しかった。
大人のディスカバリールームのなかには本物のワニガメの標本、なめしたタヌキ、キツネなどの皮、すごい数の昆虫、貝殻、植物の標本、詳しくは見られなかったけど古文書や鉱物なども置いてあり、詳しく調べることができる。
自分は特に昆虫をズームして見ることができて満足。オオムラサキの鱗粉ってこんななんだ、みたいな。ここで3〜4時間は時間が使えそう。
オススメ。
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というところで、これは心のノートにメモっておかないとと思った話を。
いま関わってる研究会では、どのように人の思いを同じ方向に差し向けて、どうやって行動を起こしていくかを研究している。
そこで講師が語る話しがある。
人に人差し指を向けるその手は、自分のほうにも向いている
「あれをやったらどうだ」「それをやるべきだ」という言葉をひとに投げかけるとき、それを「言った人」が問われる。
それを言うだけの信頼を積み重ねているか?
それを言うだけ、その人に配慮はしているか?
それを言うだけの人物だと思われているか?
それを言うだけでなく、その人はそれを実践しているか。
それを言うだけで終わらず、もっと先の理想を見据えているか?
いま、少しずつだけど、この言葉を語った人の思いに近づけている気がする。
市民革命のうねりとそれへの恐怖
うーん…ご無沙汰!
かまくらのまちに行ってきました。
最近?
まあまあ元気にしてます。
だいたいこの時期は1つの山があって、それにむけて◯◯ハイな状態で日々を走り抜けるので、それを越えるとバタンキューする。
去年は風邪、今年はインフルだった。
40度の高熱で久しぶりの体調不良に苦しめられたが、タミフルが効いた。熱は下がった。
それでも出勤はできない。
最低限の仕事はしたうえで、よく休む必要がある。
それでもいろいろものごとは頭をめぐる。
こういうときでしか考えられないことや、できないこともある。
その一つが、こうしてブログを書くこと。
日々のことを細かく反芻していけばきっといろんな人に役立つ情報もあるはずなんだけどなかなかなもって。
とはいえ、今年はアウトプットの年にするとも決意をした。
そろそろ覚悟を決める時期かな。
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といいつつ、今回のネタは1月に見たドキュメンタリーのこと。
これがすごかった。
■NHKスペシャル 「チャウシェスク政権の崩壊 ~市民が撮った革命の7日間~」(59分)
もとは1990年(平成2年)1月21日 放送のもの。
歴史はときとして、人々の想像を超えて進行します。1989年はベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の終結など、ソビエト連邦主導のもとに社会主義国家であった東欧諸国が次々と民主化し世界の政治情勢が一変した年でした。東欧諸国の民主化革命の中、唯一、流血の事態となったルーマニアでの民主革命を記録した番組をお送りします。
「激動」の時代のなかで、まさに市民が権力や地位をなぎ倒し荒れ狂う様を、その最中から記録した動画群が主題。
食事中に再放送かなんかで観始めたら、そのまま目が釘付けになった。
誰でもニュース映像が撮ることのできるいまの時代には当たり前とも言えるが、ニュース映像の価値のひとつに、当事者性があげられる。
ルーマニアの二人のアマチュアカメラマンが、市民革命という大きな渦に巻き込まれながらも、客観的視座をもって冷静に記録し続けていたことが印象的。
1989年、東欧諸国で民主化が進む中、ルーマニアではニコラエ・チャウシェスクが独裁政権を維持しようとしていました。チャウシェスクは1965年に第一書記に就任。政敵を葬り、秘密警察と軍隊を用いて独裁体制を24年間にわたって続けていたのです。ルーマニアの民主革命は、ハンガリーとの国境に近い町ティミショアラで起きた反政府集会を制圧し、多数の死傷者を出したことに端を発しました。
番組はクリスマスを目前にしたルーマニアの首都ブカレストから始まった民主化革命を、二人のアマチュアカメラマンが命をかけて記録した映像を中心に、ルーマニアでの民主革命の全容をお伝えします。
そこにはクリスマスを前にしたふつうの市民の生活があり、独裁体制を是とした既存の治安維持組織の抵抗と市民への攻撃、簡単に亡くなってしまう人の命、市民革命をただの暴動にせず秩序をもって統治に向かおうとする次期ルーマニアを率いる人々の台頭。
印象的にインサートされる、独裁者・チャウシェスク元大統領の最後。革命軍による公開処刑だった。
市民の力ーー
それはあまりにも強く、一度大きな火がつけば、憎しみをさらに燃やして大火となる。
これは誰にも止めることはできない。
その迫力、切迫感、圧倒される勢いに観ている私は恐怖を感じた。
民主主義とは、民が自らの手で今や未来のことを決めていくということ。
こうなってしまってはいけないんだなと思った。
このような革命の先には、どんな未来が待っているのか。
日本ではいまは考えられないんだけど、今後、アメリカ主導で中国の経済状況が冷え込んだときに、あの国の市民は、そして日本の市民はどんなうねりを生み出すのだろうか。
そんなことを想像しながら、この圧巻のドキュメンタリーを観終えた。
すごい映像だった。
こんな時代は、生きているうちに日本では来ないでほしい。
いい漫画とは、再読できる漫画だなあ
ご無沙汰。
わりと重いテーマで書いてたら下書き保存できてなくて消えたので軽めのテーマで。
最近、いくつかある自分の担当業務のうち特定の仕事に対して「やりたくねー」となると、現実逃避として漫画を読み始める。
※知人に誘われて西武戦を観に行った。たまにはいいね。
まあいつも通りと言えばそうなんだけど、BOOKWALKERで電子書籍を買ってるもんで、特定のキャンペーンの時期にババっと買うことが多い。
いい漫画かどうかというのは、再読に耐えるかというところにあるように思う。
『宇宙兄弟』『GIANT KILLING』『キングダム』あたりは長いわりに3〜5回くらい再読してる。
最近の関心はリーダーシップだったり組織論だったりするのは関係あるのか。
再読できる漫画がたまってくると、とても幸せな気分になってくる。
ときには負の感情に襲われることもあるよね
久しぶりのエントリー。
衆院選は、希望・民進の破談で自公の圧勝と。野党が割れればそりゃそうなるよね、ということで。
※写真は長野にいったときに珍しいと聞いた日本酒 「玄舞」
分を知る、という言葉がある。
分を弁える、というよりは、知ること。
分とは本分、自分の道を知るということで、分を弁えた結果として、自分が自分を知らないということに気づいた件をメモっておく。
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昨日、ある勉強会に参加して、久しぶりに強烈な劣等感をもった。
そのときのテーマが自分自身、できるだけ学ぶことを避けていたものでもあるし、わからない言葉ばかり。
よく、他人と自分は比べてはいけない、という言葉もあるが、周りを見渡せば一定程度、立場のある方ばかりだった。
朝から大事な用事に少し遅れたり、もともと体調よくないなかで、その勉強会に参加した際に、すでに負の感情で参加していたと、思い返すとそう思う。
参加して、ひととおり話も聞いて、自分がしゃべるタイミングでもあまりにも気の利いたことが言えず、場違い感を感じながらその場を後にした。
帰り道では、久しぶりにもった強烈な劣等感を、じっくり味わっていた。
自分がよく知らないテーマだ、しょうがない。
ピント外れな質問をしたことも、あまりにも知識がないから。
そもそも一日、変な感じだったしね、仕方ないよ。
そうして自分をできるだけ矮小に考え、期待を持たないようにしていくと、なんだか劣等感を忘れられる気がする。
自分の「分」を弁えて、自分なんてこんなもんだよと考えて、行動すればできるだけ傷が小さくなる。
辛いことからは逃げればいいね。
夜の帰路にはグチる知り合いもいず、最近引っ越したので寄るべき飲み屋もない。
夜の考え事はドツボにはまることを知っているので、ひとりラーメンを食べて帰ってすぐ寝てしまった。
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起きた。
劣等感にどう向き合うか。
今回、自分がやった対処は、自分が傷つくことを避けていただけ、その勉強会に集まることの意味に、本気で向き合っていなかったことに気づいた。
自分のことを知る。
自分の強みを知ることでもあるし、自分の弱みはその時点では諦めることができるか。
ないものねだりをした段階で、心は分から引き離されて、穏やかな気持ちをなくしてしまう。
どれだけ自分から違う雰囲気のところにいても、自らの立ち位置から、考えられること、提供できることを考えられていれば、今回のような劣等感をもつことはなかった。
このあたりで、アドラーで言うところの劣等感と劣等コンプレックスのことを思い出した。
ひとは劣等感をもつことで、その差を埋めようと頑張れる。
今回のことは、あらためて自分が「多くのことを知らない」ということを思い出すきっかけになったし、「自分がもっていなくて相手が持っているものを考えるより、自分がもっているものをいかに生かせるか」が問われる、ということを考えさせられた。
さらに言うと、「自分が知らない」というよは、怠慢の表明だ。本当に知りたければ少しでもググったり本を読めばいい。
劣等感をもつ機会はとても大事だけど、それを感じないような心づもりや準備、心構えは必要だ。
そんなことを感じた昨日でした。
FNSドキュメンタリー「幸せのかたち 出生前診断の現場から」
出張先のホテルで、よく夜ふかしをする。
ふだん見ないテレビを観たりするが、たまたまつけていたFNSドキュメンタリー「幸せのかたち 出生前診断の現場から」に考えさせられた。
端的に書くけど、出生前診断の結果で、染色体異常を伝えられた95%が堕胎を選ぶという。
祝福されない命があることに、哀しい思いを感じた。でも実際に自分がその状況になったら、戸惑うだろう。
写真のご夫婦、ダウン症のえれなちゃんがお二人に愛され、祝福されて、命が育まれている様子を見て、涙が流れた。
命が生まれた瞬間の喜び、小さな命が少しずつ育っていく不思議さ、積み重なる子どもとの時間。
多くの偶然と、多くの努力により子どもが生まれ育つことの尊さを改めて知る。
障害を持っているか否かは夫婦に大きな戸惑いや決断を強いることも多いかもしれないが、それも「幸せのかたち」のひとつだと番組では教えてくれている。
どんな命も、祝福されて生まれくることを祈りたい。
それは突然に終わることもある
(以前訪れた藤枝市役所のステンドグラス)
それは、突然に終わることもある。
人の命、人の生。
いくら周りが望もうとも、いくら本人が願おうとも、それは突然に、それはもう突然に。
見える風景がかわる。
あのとき見えた風景は、もうすでに色あせた風景。
愛は人を救わず、ただ大きな哀しみを置き土産にする。
それはもう、突然に。
哀しみを背負うごとに、いまを限りなく楽しみつくそうと思う。
胸を焦がす情熱を絶やさないようにしたいと感じる。
悪びれぬ愛で世の中を満たそうと決意する。
生きるというのは、そういうことなのかもしれない。
2017.03.10 R.I.P